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「dialog( ) Asian Generative Art Exhibition 2024」を観てきた

渋谷で開催されていた「dialog( ) Asian Generative Art Exhibition 2024」に、最終日の8月12日に訪問しました。この作品展は、「アルゴリズムがもたらす表現の可能性を探求」するというテーマで、アジアで活躍するジェネラティブアートのアーティストたちが集まる作品展でした。

観覧の目的 #

私はジェネラティブアートの専門家ではないですが、このジャンルの作品を見るのは以前から好きでした。Instagramのおすすめに出てくる程度には、関心があります。そういったSNSで見るような作品が、リアルで見られる機会というのは滅多にないので、実際に足を運んでみることにしました。

そういった背景があるなかで、あえて観覧の目的を書くと「ジェネラティブアートでできる表現にはどのようなものがあるかを知る」というところになるかと思います。

展示作品の概要 #

会場には、印象で30程度の作品があったのではないでしょうか(アーティストのタグが多数あった)。パソコンからモニターに出力するものだけでなく、Raspberry Piから映像を出力するものや、LEDマトリクスに表示するものがあり、これらのツールが実際に使われている様子を初めてみることができました。モニターに表示する作品で使用しているフレームワークは、おそらくProcessingやp5.jsなどを使っているのだろうという印象でした。

また、インタラクティブな作品も3点ほどありました。人間の熱に反応して表現が変化するものや、ボタンやマウスを介して表現を切り替えるものがありました。私は、インタラクティブなものが好みなので、そういった作品を多く観たかったです。

作品から得た学びや疑問 #

この作品展を通じて、「ジェネラティブであるとはどういうことか」「クリエイティブコーディングとの違いは何か」ということを考えるきっかけになりました。

クリエイティブコーディングとジェネラティブアートの関係 #

主催者は、ジェネラティブアートを「コンピュータアルゴリズムによって人の手を介さずに生成されるアート」と定義し、その独自性を再考する場として作品展を企画しました。しかし、私が感じたのは「そもそも実装の時点でアーティストの意図やデザインがコードに反映されていて、それはジェネラティブと言えるのか?」ということでした。

ジェネラティブアートの説明として、あるポストでは、ジェネラティブアートをクリエイティブコーディングの1つのジャンルとして説明しています。加えて、コンピュータの乱数を利用して絵を描くことの「想像もつかなさ」がジェネラティブアートの面白さであると述べています。つまり、実装者がある程度の意図を持って実装していても、ランダムやノイズにより想定していなかった出力が得られるということに、アートを見出しているということなるのだと思います。

「想像もつかなさ」のバランスが鍵 #

ジェネラティブアートは、実装者による意図と、コンピュータの乱数による「想像もつかない結果」とのバランスが鍵ということになりそうです。たとえば、ある程度決まったパターンを生成するもの(たとえば形やテクスチャはそのままに色が変化する程度のもの)は、まだ予測可能性が高めで、「想像もつかなさ」が不足しているのではないか、とも考えられます。つまり、アーティストには、「想像もつかなさ」を司るパラメータを選ぶ眼が求められているということになりそうです。

全体の感想 #

目的だった「ジェネラティブアートでできる表現にはどのようなものがあるかを知る」という点では、最終的な出力方法としてLEDマトリクスやRaspberry Piを使う方法を実際に見ることができたという点で、目的が十分達成できました。それだけでなく、どういったものが「ジェネラティブ」で、それを感じにくい線引きがどこにあるのかを考えさせられた点も意義深いものでした。コンピュータから出力される絵の「想像もつかなさ」のバランスが重要で、想像できてしまうものは「ジェネラティブ」と感じにくそうだ、という気づきが得られました。


なお、このポスト全体の4割ほどは、私の感想に基づいてChatGPTにアシストしてもらいながら生成しました。